春の海
終日のたり
のたり哉
はるのうみ
ひねもすのたり
のたりかな
与謝蕪村
( 2024.4.22 イラスト作成 Bing Image Creator )
春の海
終日のたり
のたり哉
はるのうみ
ひねもすのたり
のたりかな
与謝蕪村
( 2024.4.22 イラスト作成 Bing Image Creator )
藤奈美<乃> 影成海之 底清美 之都久石乎毛 珠等曽吾見流
藤波の
影なす海の
底清み
沈く石をも
玉とぞ我が見る
ふぢなみの
かげなすうみの
そこきよみ
しづくいしをも
たまとぞわがみる
十二日遊覧布勢水海船泊於多 灣望<見>藤花各述懐作歌四首
大伴家持(万葉集 第19巻 4199番歌 )
万葉集 第19巻 4199番歌/作者・原文・時代・歌・訳 | 万葉集ナビ (manyoshu-japan.com)
( 2024.4.22 イラスト作成 Bing Image Creator )
藤を織って
衣を仕立てて
藤を編んで
帆や網を張り
藤を巻いて
筏を結わえて
男たちは船旅に
見送る松原
歌う浜歌
機織りの歌
子守歌
藤が咲いて
星の雨が注ぎ
藤が揺れて
潮さわぐ松風
藤が散って
竜宮を夢見る
男たちは船旅に
たたずむ松原
流れる舟唄
湊の宿の宴で
時忘れの酒を今
( 2024.4.22 イラスト作成 Bing Image Creator )
經毛無 緯毛不定 未通女等之 織黄葉尓 霜莫零
経もなく
緯も定めず
娘子らが
織る黄葉に
霜な降りそね
たてもなく
ぬきもさだめず
をとめらが
おるもみちばに
しもなふりそね
大津皇子(万葉集 第8巻 1512番歌)
天紙風筆画雲鶴
山機霜矜織葉錦
赤雀含書時不至
潜竜勿用未安寝
天紙風筆(てんしふうひつ)
雲鶴(うんかく)を画き
山機霜杼(さんきそうちょ)
葉錦(ようきん)を織る
赤雀(せきじゃく)
書を含んで時に至らず
潜竜(せんりょう)用いることなく
未だ安寝(あんしん)せず
大津皇子(懐風藻 七言 述志 一首)
( 2024.4.18 イラスト作成 Bing Image Creator )
「断夫山古墳」こちら、ドワーフ・プラネット (the-wings-at-dark-dawn.com)
「かつて断夫山は、常日頃の立ち入りが
禁止されていましたが、三月三日だけは
入ることを許されました。
熱田の浜を眼下に見渡せるのは
この時だけでした。」
(名古屋市教育委員会の立て看板より)
名古屋市熱田区にある断夫山古墳は、
ヤマトタケルの妻ミヤズヒメを祀るが、
江戸時代の「尾張名所図会」によれば
三月三日だけ庶民にも解放され、
踏み入ることが許される場所だった。
旧暦三月三日は桃の節句であり、
元は宮中行事だった「ひな祭り」が
江戸時代、庶民にも広まったという。
ひな祭りを検索して思ったのだが、
断夫山古墳への三月三日の入所解禁は、
古代中国より伝来した「上巳」の風習の
名残りだろうか?
(以下、Wikipedia「上巳」より抜粋)
……中国では、漢初より両漢を通して行われた行事であり、『後漢書』礼儀志上には「官民皆な束流の水の上に潔し、洗濯祓除と曰う。宿き垢痰を去りて大潔を為すなり」とあり、官民そろって水辺に出て祓除をする行事であった。
三月上巳に限らず、季節の節に同様の祓除が行われ、この祓除の行事が宮中では洗練され、曲水宴として人工の流水に盃を浮べて酒を飲む宴と変遷した。唐代に至ると、曲水宴は宮中だけでなく上流階級の私宴となり、次第に上巳節は本来の川禊が失われて水辺での春の遊びと変化し、庶民にとっては農事の節日へと展開していった。
春遊踏青という一種のピクニックを行う。杜甫が『麗人行』で「三月三日天気新、長安水辺多麗人。」と述べたように、これは若い男女の恋愛のチャンスであった。また野合が許されることもあった。近代でも『善化縣治』の記載のように絶えてはいなかった。
(抜粋終わり)
上巳 – Wikipedia
宮簀媛 – Wikipedia
ミヤズヒメ伝説の残る断夫山古墳から
眺める、桃の節句の春の海。
桃は中国の西王母信仰とも縁が深く、
西王母は、
織物(絹・蚕)や星(オリオン座)など
多様な要素を含む女神である。
ミヤズヒメは、
川辺で布をさらしているときに
旅するヤマトタケルと出会う。
織り姫である西王母の面影がほのみえる
古代尾張の姫(草薙剣の巫女)かもしれない。
トヨタマヒメ幻想 – ぶるーまーぶる (fairy-scope.com)
( 2023.11.11 イラスト作成 Bing Image Creator )