AIさんは、お絵描きほんと上手いなぁ。
幾枚も試してみたけど、西洋風かな。
これらの画像も参考に、妖精さんを
描いてみたい……と目標を記しておく。
( 2024.6.12 イラスト作成 Bing Image Creator )
ホタルブクロ
ホタルブクロをみたくて出かけた。
ホタルの語源は「火垂る」説もあり、
ホタルブクロの花にホタルをとまらせ
提灯に見立てて遊んだ、とも伝わる。
楚々とした風情だが、
ふんわりと明るい存在感がただよう。
この写真を参考に、
花の提灯を持つ素朴な妖精さんを
描いてみたい。
ホタルブクロ – Wikipedia
英語のプレートが解読できず、
写真を撮ったものの花に隠され……Orz
画像検索してみた。たぶん
カンパニュラ アリアリフォリア
(Campanula alliariifolia)
なのかな……(確信はない)
(コーカサスとトルコが原産地)
ホタルブクロに似ている。
(また今度よく観てみよう……)
(また=来年の同じ季節・同じ場所で)
カンパニュラ・アリアリフォリア – Wikipedia
常世虫と甚句と
甚句(ジンク)とは? 意味や使い方 – コトバンク (kotobank.jp)
>東北地方にはいまなお「ジンコ」という名の唄が各地に点々と残っている。東北弁では、名詞の後に「コ」の字を加えたがる傾向が強いから、「ジンコ」は「ジン」+「コ」ということになり、問題になるのは「ジン」ということばだけということになる。ところで「甚句」ということばは、「音頭と甚句」というぐあいに対句として用いられることが多い。この対句は演唱形式がそのまま曲名になったもので、「音頭」は、1人の人が唄の一部を独唱すると、他の人々が他の部分を声をそろえて斉唱する演唱形式の唄である。これに対して「甚句」すなわち「ジン」は次のように考えられる。秋田、岩手、青森3県の山間部の古風な盆踊りをみると、歌垣(うたがき)的な性格を色濃く残している。すなわち、男女が手拭(てぬぐい)でほおかぶりをし、輪になって踊りながら、そのうちの1人が思う相手に問いかけるようにして歌うと、異性がこれをうけて返歌を歌うという形式である。こうして一晩中踊りが続いていくだけに、「ジン」は「順番」の「順」ではないかと考察される。これに「コ」の字を加えて「順コ」、それが「ジンコ」となまり、江戸時代末期に「甚句」の文字があてられて、以後急激に東日本に広まっていったとするものである。その「甚句」は、七七七五調26音を基本とする詞型で、曲は旧南部領(青森県東部と岩手県の大半)の『ナニャトヤラ』を母体にして派生、『秋田甚句』や『越後(えちご)甚句』が中心になって、その多様化したものが東日本一円に広まり、盆踊り唄、酒盛り唄にと利用されている。そして新潟県糸魚川(いといがわ)から長野県松本、さらに静岡県浜松を結ぶ線以東に集中し、西日本では飛び火のような感じで存在するにとどまっている。
[竹内 勉]出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(上記コトバンクからの引用終了)
「ジンク」とは男女が順番に歌いかける
「歌垣」的な七七七五調26音を基本とする詞型で、
東北地方の盆踊りに古来の面影が残る、という。
(竹内勉氏の説は、とても興味深い)
>その多様化したものが東日本一円に広まり、盆踊り唄、酒盛り唄にと利用されている。そして新潟県糸魚川(いといがわ)から長野県松本、さらに静岡県浜松を結ぶ線以東に集中し、西日本では飛び火のような感じで存在するにとどまっている。(同上引用)
糸魚川、長野県松本、静岡県浜松を結ぶ線以東に
甚句の分布が集中しているという。
甚句に近しい機織唄はどうなのだろうか?
静岡といえば、大化の改新前夜の時代に
「常世虫」への信仰が流行して、
太秦の秦河勝により討伐されたという。
「常世虫」はアゲハチョウの幼虫とも
シンジュサン(野生の蚕)の幼虫とも
推察されている「蚕に似た虫」のこと。
「東国の富士川の近辺の人・大生部多が村人に虫を祀ることを勧めた」
と日本書紀に記述されている。(Wikipedia参照)
富士川に沿って、
古代からの河の神への信仰があり、
国家宗教として導入された仏教への
対抗勢力として新たに「常世虫」が
シンボル化されたのではなかろうか……
古代からの河の神信仰は、
機織り姫(野生の蚕)や豊穣祈願など
民に深く根付いた要素を含んでいたのでは?
伝承された甚句の分布が、
「新潟県糸魚川(いといがわ)から長野県松本、
さらに静岡県浜松を結ぶ線以東に集中」
していることと、
討伐された「常世虫」の勢力図とには、
どこかで重なりがないだろうか?
と、ぼんやり夢想してみる。
(あてはないけれど心に留めておけば、
やがて何か気づくこともある?)
富士川 – Wikipedia
常世神 – Wikipedia
常世虫(とこよのむし)とは? 意味や使い方 – コトバンク (kotobank.jp)
カワヒラコ、夢虫、蚕サン – あかり窓 (memoru-merumo.com)
機織唄
機織唄(はたおりうた)とは? 意味や使い方 – コトバンク (kotobank.jp)
甚句(ジンク)とは? 意味や使い方 – コトバンク (kotobank.jp)
とりとめなく考えている、ぼんやりと。
セイレーンの歌声とは、つまり
岸辺の女たちの機織唄ではないのか、と。
神宮に織った布を奉納するのは、岸辺の機屋から。
船着き場の宿場町には、女たちの歌声。
機織りが盛んな土地には、若い娘が奉公に集まり、
技術が伝承され、人の往来があり、産業が栄えた。
地中海沿岸の土着の女神信仰が、
やがて船乗りを惑わす悪霊に零落したとして、
セイレーンの元来の姿は、
航海の安全を祈願する女神ではなかったのか?
機織唄は労働の歌であり、各地に保存されている。
その歌詞は、甚句に近しいという。
日本では甚句に近い歌詞を持つ機織唄だが、多分
古今東西にわたり民謡として残っているだろう。
神御衣祭(かんみそさい)とは? 意味や使い方 – コトバンク (kotobank.jp)
地元図書館の郷土資料から、
調査で集められた機織唄の概要を読んでみた。
「愛知の機織り歌」
(服部勇次/採譜、服部勇次音楽研究所、1992,11発行)
「尾西の機織唄」
(尾西市文化材審議会/編、尾西市教育委員会、1979発行)
奉公に出された若い娘の悲哀や実家の親への郷愁、
恋する男への恨みつらみや訪れを待つ歌、など
機織り作業を歌うにとどまらず
日々の悲喜こもごもを率直にユーモア混じりに
表現した歌詞が多かった。そのなかには
「恋し恋しと鳴く蝉よりも、
鳴かぬ蛍が身を焦がす」
といった聞き覚えのある都々逸も含まれていた。
都都逸「恋し恋しと鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす」の成立について知りたい。 | レファレンス協同データベース (ndl.go.jp)
都々逸 – Wikipedia
>都々逸(どどいつ)とは、江戸末期に初代の都々逸坊扇歌(1804年-1852年)によって大成された、口語による定型詩。七・七・七・五の音数律に従う。
>概略
元来は、三味線と共に歌われる俗曲で、音曲師が寄席や座敷などで演じる出し物であった。 主として男女の恋愛を題材として扱ったため情歌とも呼ばれる。
七・七・七・五の音数律に従うのが基本だが、五字冠りと呼ばれる五・七・七・七・五という形式もある。
>発祥
扇歌が当時上方を中心に流行っていた「よしこの節」を元に、「名古屋節」の合の手「どどいつどどいつ」(もしくは「どどいつどいどい」)を取入れたという説が有力である。
>名古屋節は、名古屋の熱田で生まれた神戸節(ごうどぶし)が関東に流れたもので、音律数も同じであることから、この神戸節を都々逸の起源・原形と考えるむきもある。実際、名古屋市熱田区の伝馬町には「都々逸発祥の地」碑がある。
(以上Wikipedia「都々逸」の項より引用)
こちら、ドワーフ・プラネット「熱田神宮(八百万の神)」 (the-wings-at-dark-dawn.com)
下記は、熱田神宮公式HP より引用。
★ 二十五丁橋(にじゅうごちょうばし)★
尾張名所図会(おわりめいしょずえ)や
名古屋甚句(なごやじんく)で名高く、
板石が25枚並んでいるところからこの名がついており、
名古屋では最古の石橋といわれております。
昔ながらの優雅な姿は誠に見事です。
名古屋甚句の中には西行法師(さいぎょうほうし)が、
これほど涼しい宮を誰が熱田と名をつけた、
というユーモラスな唄があります。
「ア~ 宮の熱田の二十五丁橋で エ~ ア~
西行法師が腰をかけ 東西南北見渡して
これほど涼しいこの宮を たれが熱田と
ヨ~ ホ ホ ア~アア
名をつけたエ~トコドッコイ ドッコイショ」
熱田神宮 公式HP
https://www.atsutajingu.or.jp/jingu
発祥の地コレクション(都々逸 発祥之地)
https://840.gnpp.jp/dodoiz/
熱田神宮では、例年5月に御衣祭が行われる。
郷土資料の機織唄の歌詞にも
地元神社を歌う例があったが、
神社と機織りとは古来から関係が深そうだ。
たとえば熱田神宮周辺は
古い港町の面影を残しており、その地で
甚句や都々逸が盛んであったことが、
機織り娘や宿屋のお座敷娘たちの
哀感とユーモアに満ちた歌声と
無縁であったとは思われない。
こちら、ドワーフ・プラネット 「堀川散策」(the-wings-at-dark-dawn.com)
まーふぁのはたおりうた(小野かおる ぶん・え)
「はたおりうた」に関心を持ち、
図書館で検索して見つけた絵本。
落ち着いた柔らかな色調が美しい。
静かに語りかけるような文体の、
アジアの昔話風の創作絵本。
(原話についての紹介がないので、
著者オリジナルの物語だろうか)
織り姫と彦星とを思わせるふたり、
おだやかな幸せを奪う隣国との戦、
心を込めた機織りを邪魔する大臣。
悲しみをこえ天上で結ばれる恋人、
残された美しい麻織物の技と歌声。
ほそーく ほそーく
あさ糸 つむいで
月のひかりを おりこんで
星のひかりを おりこんで
ながーく ながーく
二 四の 糸には 月のひかりを
三 五の 糸には 星のひかりを
ながれる星は 六から一に
月の光のような優しい余韻が残る歌。
いくどか読み直しても余韻は消えない。
作者はすでに他界されているけれど、
「ねずみおことわり」
「はるかぜとぷぅ」
「われたたまご」
など、幼かった頃に読み、
とても好きだった幾冊もの
絵本を思い出した。
他に多数の作品が遺されていると知り、
寂しいけれど、清々しいような
ほっこりと温かい気持ちになった。
まーふぁの布も、きっとそんな肌ざわり
なのだろう。