新美南吉とエブリディ・マジック


「ブルー・マーブル」という
手作り小冊子の詩を推敲して
「こちら、ドワーフ・プラネット」
Yahoo!ブログにUPしたんだっけ。
なぜ同じ名前のブログを継続しなかったか
ふと考えたけど、視点を変えたかったから。
冥王星(ドワーフ・プラネット)
まで引いた視点を
地球(原点)に戻したかったから?

ファンタジーや神話についての夢想は、
日常の七曜(月曜日~日曜日)の外の
はざま時間の埋め草だけども、
大切なひとときってイメージで
冥王星の名をブログにつけた。
それが10年前の自分。
リアルいろいろあって、
夢幻にむしろ
大きな足場を置いている、
夢幻だけど
今を支えるリアルと感じ始めた?

足元の日常で夢想する、それは
エブリディ・マジックの世界観。

fairy と scope も、
それと似た感覚で
選んだ言葉なのかも。

視点を変える……
地球と冥王星。
足元と最果て。

スランプだと感じて
ジタバタしてるけど、
10年も一本調子ムリ。

足元を見直す、むしろ
初心にかえる。
fairy tale(妖精譚)を
探してる……


エブリデイ・マジック – Wikipedia

Wikipedia より「エブリディ・マジック」
低年齢向けの内容のものが多い。日本では藤子不二雄の漫画作品が代表例である。ただし藤子不二雄作品は、系譜としてはファンタジーではなくSF系のショートショートや伝統的な落語からの流れを組んでおり(略)

漫画作品が代表例に。

自分のイメージだと、
エリナー・ファージョンの童話が
「エブリディ・マジック」の感触。

日本では、大正童心主義の作品群。

第二次大戦の終戦後、
戦前の童話は批判された。
開戦時には故人だった宮沢賢治・
戦中に病弱な教師だった新美南吉は、
戦後に作品評価が傷つくことなく、
国語教材等でも有名に。
(不幸中の幸いだったか)

日々の暮らしに不思議をみる感性は、
室町時代の御伽草子~江戸時代の草双紙(絵本)
などにも?

戦後に
「子どものリアルな姿・豊かな自然を描いた」
として評価が衰えなかった児童文学作家は、
宮沢賢治・千葉省三・新美南吉
の三人だったという。
新美南吉は戦時中にも童話を執筆したが、
その作品が戦後の評価にも耐え得たのは、
教師・作家として素晴らしい。
繊細な作風に強靭さを秘めていたと気づく。

もっと新美南吉の作品を読んでみたくなった。


(2020..4.5 Twitter より)


因果交流電燈 – あかり窓 (memoru-merumo.com)


胡蝶の夢のミステリー

草木がしげる季節の到来。
春分。
生い茂る緑は、古来より
山と河と三日月の神、
慈雨(ときには暴風雨)の神の
生命力の発露そのものとされてきた。
千の名を持つ神……その名を問うたび、
あてのない夢想にいざなわれる。

宮澤賢治は
「我に魔力を与えよ」
と木星に祈った。
怪力乱神はシヴァに当てはまる言葉だ……
不浄な世を浄化する災厄と恵みの神……
素朴な原初の暴風雨神が、
神話の物語素として巨大な水脈に成長、
文明が複雑な矛盾や問題を露呈するたび
亀裂から吹き出す地下水のように、
災厄神シヴァの破壊の神話が甦る。

以下、平安時代編纂の
「古今和歌集」序文より。
「力をも入れずして天地を動かし、
目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、
男女のなかをもやはらげ、
猛き武士の心をも慰むるは、歌なり 」

この鬼神という言葉は、
中国の論語「怪力乱神を語らず」
に基づくのだろう。
叙情性を重視する、
和歌の精神を刻んだ序文だ。

繊細な自然描写や、移ろう世に宿る情感。
わずか三十五文字が、
千年のときをこえて伝える世界。
さりげなく散りばめられた古い神々の面影、
その悠久のイメージのかけらを、
童話という形でスケッチすることは
出来ないだろうか、と夢をみる。
大洋の荒波を渡るのではなく、
波打ち際のさざ波と遊ぶように。

(2020.3.20 Twitter より)

「うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと」
(江戸川乱歩)

胡蝶の夢のミステリー。

震災後、虫や鳥の訪れに、
亡き人のメッセージを受け取った人が
多くいたという。
そういえば私も、蝶の羽ばたきに、
忘れていた季節や歌を思い出し、
凍てた惑いから覚めたことがある。

和歌と老荘思想との関連はあるのか
(ありそう、いやむしろ直系ではないのか)?
万葉集と漢籍の古典との関わりは、
たしか習ったことがあるけれど。
と、今さらながら疑問を抱いたら、
「幽玄」の美意識が
老荘思想の影響なのだとWikipedia に…..((;^_^A
習ったけど、忘れ果てていたかも。
基礎の基礎。

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%B9%BD%E7%8E%84&oldid=75463464…古くは、『古今和歌集』の真名序において「興或は幽玄に入る」として用いられた。『古今和歌集』の撰者の一人である壬生忠岑は、歌論『歌体十種』の高情体の説明で「詞は凡そ流たりと雖も、義は幽玄に入る、諸歌の上科と為す也」と表現し、高情体を十種の最高位としている。

ますます漢字モードの迷宮に……
習ったことは忘れて、
自由な連想に任せよっかな。(;^_^A
真名序の文意はむずかしい……Orz

(2020.3.21 Twitter より)