月あかり(2)

ようやくゆれがおさまり、シノブくんは、かぶっていた鍋を頭からおろした。
 戸棚の位置が大きくずれて、床いちめんにこわれた食器が散らばる「くりや」から、わたし達はいそいで外へ出た。
 時々ゆらゆらと地面が波打つように動くが、オモカゲ山の深緑の木々は、いつもとかわらぬ姿でそこにあった。
「よかった……やしろも鳥居もこわれずにいてくれた」
 シノブくんがあたりを見回して、ホッとため息をもらした。
 「シノブの宮」のあけ放った引き戸の向こう、さっき板の間にかざったばかりの、陶の器がひっくり返って割れていた。水がこぼれて木の床をぬらし、ススキと青ユズの枝が無残に乱れ、たおれている。
 思わずそちらに足を向けると、シノブくんが首を横にふった。
「まだ建て物には入らないほうがいい、また大きなゆれがくるかもしれないから」
 やしろ手前のちいさな広場から、シノブくんとわたしは、ふもとのオモカゲ街が夕やみにつつまれ始めるのを、たたずんで見おろした。
「街にあかりが灯らないな」
 シノブくんが、まゆをひそめた。
「さっきの地震で、停電がおきたのかもしれない」
 いつもなら、ここオモカゲ山の西の峰にある「シノブの宮」からながめると、夕ぐれのオモカゲ街にぽつぽつと、灯が浮かびはじめる頃なのだった。やがて宵闇の底、クモの巣にやどるしずくのように、無数の金色の光がやさしい渦をえがくはずなのに……
 ひたひたと、まっくらな夕やみがせまってくる。
「オモカゲ山ばかりでなく、オモカゲ街もゆれたんだな……ひさしぶりにアイツがあばれたのだろうか」
 シノブくんが、つぶやいた。
 アイツ……
 ふと、さっき草むらに消えていった、あのちいさなムカデの、黒光りする胴体と数えきれない赤い足とを思い出した。いつか黒沼のほとりで追われた、あの大ムカデの姿がまぶたに浮かび、わたしは身をふるわせた。
 アイツ……?

 ガサリ、と足もとの草が鳴った。
「きゃっ」
 悲鳴をあげ飛びすさると、両腕でかかえられるほどの影が、すいと飛び出してきた。
「シノブさん、たすけてください」
「え?」
 わたしは身をこわばらせたまま、足もとに目をこらした。
 夕やみに、きらりとまたたく緑の瞳……
「びっくりさせてごめんなさい」
 やわらかな声色で申し訳なさそうにあやまったのは、ふわふわしたシッポのネコだった。
「なんだ、タマじゃないか」
 シノブくんが、声をかけた。
「どうしたの、そんなにあわてて」
「シノブさん。サヨさんが……ケガを」
 ネコは、金色の毛並みをふるわせ、緑の瞳をみひらいた。
「なんだって。さっきの地震で?」
「はい。タンスに足をはさまれて……動けなくて」
 ミャウ、ミャウ、ミャウ。
 うったえるようなタマの声に、シノブくんが、さっと身をひるがえした。
「わかった、すぐ行く。懐中電灯、それに薬と包帯をとってくるよ」
 やしろから戻ってきたシノブくんは、小さな包みをわたしにあずけた。
「これを持ってついて来てくれるかな、イスルギさん」
 もちろん……わたしは大きくうなずいた。

 あわい金茶の影が、案内するように先にたち、しなやかに石段をおりていく。
「はやく、はやく。シノブさん」
 シノブくんとわたしが後について、オモカゲ山の夜道をくだる。
「たしか山すその、井戸のある古い家だったかな」
 シノブくんが、首をひねる。
「そうですよ……古い井戸がありますよ」
 タマがふりかえって、こちらを見上げ、待っている。
「はやく、はやく。シノブさん」
「わかった、わかった、タマ……ほんとに今夜は暗いなあ」
 シノブくんが、オモカゲ街を見おろしてつぶやく。
「こんなに暗い。電気が止まって、街の人たちは大丈夫かな?電気だけでなく、水道も止まってないだろうか」
 シノブくんの、心配そうな横顔。
 わたしは目を移して、夜空を見上げた。
 街のあかりが消えた分、今夜の月は、とてもきれいだ。
 十五夜お月さん、まんまるの月……
 山の鳥やケモノ達は、どうしているだろう?やっぱり地震におどろき、まだおびえているのか。それとも、もう巣穴やこずえで、身を休ませているだろうか。

ブログ「こちら、ドワーフ・プラネット」( 2015/6/2 )より

月あかり(1)

ススキの穂が、夕空におじぎをしている。
 ふさふさした銀の穂波は、わたしのシッポにすこしにている。
「今夜のお月見にかざるから」
 そうシノブくんにたのまれて、わたしは、「シノブの宮」のうらての草むらまで、おいしげるススキの穂をとりにきた。
 カミソリのようなススキの葉は、魔をはらう力をもつという。
 するどい葉で指を傷つけぬよう気をつけながら、はらりと手におちかかる穂を、いく本かかりとって、たばねた。
 赤トンボがついついと目の前をよこぎり、すきとおった風が、手にしたススキの穂をゆらしていく。
「十五夜お月さん……まんまるの月」
 夕やけ雲にすいこまれていく、赤トンボ。
 うたいながら、トンボのゆくえを目でおいかけた。
 今夜、山のお客さんがあつまって作るのは、どんなごちそうだろう。
 うきたつ気持ちで、ふと足もとを見ると、ちいさなムカデがはいだしてきた。
 黒光りする体のふちで赤い数えきれない足が、すべるように波うつ。
「あっ」
 とびのきながら、手にしたススキの束で足もとをはらうと、ちいさなムカデは糸でひかれるように身をくねらせ、草むらに消えていった。

 シノブくんのお宮にもどると、井戸水をみたした大きな陶のつぼに、ススキの束をいけた。
 ススキの銀の穂といっしょに、先日ユズメさんから頂いたばかりの、まだ青い実をつけたユズの枝もかざった。
 ススキと青ユズをいけた器を、戸をあけはなした涼しい板の間に置いて、わたしはホッとひといきついた。
 今夜、山のお客さんたちは、「シノブの宮」境内の広場で火をたき、大きな鍋のごちそうをかこんで、宴をもよおすのだという。
 十五夜の、月の宴……
 たのまれた用事をおえて、「くりや」にようすを見にいくと、シノブくんが、奥の戸棚から、大きな鍋をひっぱりだしているところだった。
「おかえり、イスルギさん」
 シノブくんが両手でかかえているのは、洗濯ダライほどもある鉄の深鍋で、長年つかいこんだ風格なのか、まっ黒くすすけていた。
「この鍋、重いよ……」
 シノブくんがそういって笑い、わたしも笑いかえそうとしたとき。

 ゴォッ、と体の芯にひびく地鳴りがおしよせ、グラリ、とつきあげるように足もとがゆらいだ。
「地震だ、イスルギさん」
 くりやの床が大波のようにゆれ、二本足のバランスをとるのがむずかしい。
 わたしは、一瞬で白い子ギツネの姿に変じた。
 四つ足をふみしめ、なんとか転がらないよう床に立った。が、よろよろする。
 はげしいゆれは、おさまりそうもない。
「イスルギさん、ぼくの肩にきて」
 指示されるままその肩にとびのると、シノブくんは大きな鉄鍋を両手でささえ、すっぽりと頭にかぶって、うずくまった。
 くりやの戸棚からすべりおちた皿や茶わんが、ガンガンと鉄鍋に当たっては、床にこぼれて割れ、白いかけらがあたりに飛び散った。
「大きいな、この地震」
 身をかがめ、しっかりと深鍋をささえながら、シノブくんがつぶやいた。
 シノブくんの肩の上、わたしはぶ厚い鉄の鍋にまもられていた。
 落ちてきた物がぶつかるたび鍋がガツンガツンとふるえるので、わたしはせめても衝撃がやわらぐようにと、シノブくんの頭に自分のシッポをかぶせた。
「ありがとう、イスルギさん」
 くらい大鍋の中で、シノブくんがにっこりするのがわかった。

ブログ「こちら、ドワーフ・プラネット」( 2015/7/5 )より

始まり

時計台に時計はまだ置かれていなかった

天使をしるした若葉色のページが散乱し

七曜の羽ばたきが結晶する

虚を蹴ってつむがれる言葉の弦

四方に八方にあなたの歩む方向に

喪失はヴィジョンの果てなき影に過ぎない

未だカタチをなさぬ者

ちりあくたの中から隆起せよ

(2002.7.31発行 冊子「星の文字」より)

ここから

シルクロードの旅の果ての島。

一度もその島を出ることなく。

足元の一歩ずつだけみて歩く。

いまここが自分の場所だから。

ここからたどり着く先を探す。

路地裏から路地裏の小さな旅。

最初から最後までそれがいい。

そこから見える風景を忘れず。

星空とおい異世界の夢をみる。

いつかどこか、の?

( 2019/12/10 )

ぶるーまーぶる

どうしても思い出せない言葉があって、なぜかとても気になって、心は水平線やら雨雪やら海亀やら、色々な言葉をさまよって、忘れた頃に思い出した……

「ブルー・マーブル」、青い大理石……

宇宙から撮った地球の写真は、白や茶のマーブル模様が入った、紺碧の大理石球のようだったという……

( 2012/11/29 memo )